宿をみつけるために。

 

 突然ですが、みなさんはどのようにして突如 湧き出た負の感情を成仏させていますか?「浄化」ではなく「成仏」という言葉を使った理由は、私にとってこの感情が幽霊と同じくらい恐ろしいものであるからというだけで、特に深い意味はないです。

 みなさんが負の感情が湧き出てくることを前提に話を進めようとしていることについては、とりあえず早めに謝っておきます。何事も経験とよく言いますが、このことに関しては未経験に越したことはないと思います。 

 なぜかというと、ただただしんどいだけだからです。ただ嫌な気持ちになるだけで、得ることはもちろん、対処法までもがないのです。

 そのため、「負の感情が沸かないようにする」ではなく、「負の感情で、いやな気持ちになってから、いかに気持ちを立て直すか」 ということが大切になってきます。

 そんな時に行っている 負の感情を成仏させる方法の1つとして 「ひたすら音楽を聴く」ということが挙げられます。音楽を聴いて、1人で泣いて、お腹の底にあった負の感情が喉元まで浮き上がってくるのを、なんとか防いでいます。

  私が、どうしても落ち着けなくて、だれにも会いたくなくて、それなのにとても寂しい そんなときに よく聴く曲は、くるりの「宿はなし」という曲です。ちょっと、あまりにもこの曲が好きすぎるため、パパっと歌詞について考えたりしました。紹介というよりも、私のあたまの整理のための文字おこしだと思ってください。

 ですが、少しでも同じように負の感情に悩まされている方の、何かになればいいな とも思っています。

 

 

宿はなし

宿はなし

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この曲は、

「 宿はなし 今日も川のそば

暮れゆく夕凪を眺めれば 

という歌詞から始まります。

 ほんまに家がないというよりも、帰る場所がない(帰りたくない)ような気分であったり、はたまた心の拠り所がないといったことを宿はなしとしているのでしょうか。川はどこの川なのでしょう。くるりは京都のバンドなので、なんとなく鴨川っぽいですよね。鴨川であれ。(鴨川大好き芸人のエゴ) 

 慣れ親しんだ鴨川沿いから眺める、夕方のオレンジ色のフィルターがかかった景色が目に浮かびます。(そうです。鴨川と決めつけました。)

 

 勝手に決めつけ終わったところで、歌詞は

「 飛び石のほら真ん中で

笑う顔泣く顔日も暮れた 」

と、続いていきます。

 みなさんには、飛び石の思い出ってありますか? 私は幼き頃、犬の散歩のついでに、兄と鴨川の飛び石の上に座ってバタ足をしながらアイスをよく食べました。当時ガリガリにやせていた兄はアイスを半分くらいまで食べたところで徐々に顔色が青白くなりはじめ、最終的に、

「寒すぎる~!…みりんちゃんにあ~げ~る~」と言うので面白かったです。

話がまた鴨川方面にそれてしまいました。戻ります。

 夕暮れと日暮れって、意味が違うんですかね?もしも違うとしたら順番は、

日暮れ⇒夕暮れなのか。夕暮れ⇒日暮れなのか…。謎は深まるばかり…。

 

「 宙ぶらりん千のこころは
さざれ石すら動かせず 」

 宙ぶらりんな千のこころは、川の付近に漂っている、道行くだれかのこころのことなのか。全部自分のこころなのか。

 どちらにせよたくさんのこころをもってしても、動いてくれないさざれ石。もしかするとさざれ石は、どんなに慕っても振り向いてくれないあの人のことなのかも。

 

「 べんがら格子の街を背に
暮れゆく日々にただ悔やむだけ 」

 べんがら格子の京都の街並みに溶け込んでしまうことができたならば、きっと「宿はなし」な気持ちにはならないのでしょう。子供のころから夕暮れって、どことなく寂しかった気がします。友達と別れて、それぞれの家に帰らなければならなかったからでしょうか。

 

「 見つめ合う事に飽きたらば

慕情の落ち穂拾い集め

燃やそうか ほら流そうか  

遊ぶ幼子の目に問うか 」

 見つめ合う相手は、川?こちらが一方的に川をみていると思いがちだけれど、気づいていないだけで、実は川もこちらを見ているのかも。見つめ合えちゃっているのかも。

 「慕情の落ち穂」って言葉、普通思い浮かばなくないですか?一回岸田さんの頭の中を欲望のままにじっくりと観察したい…。

 で、拾った落ち穂をどうするかは以下の通りです。

 ①落ち穂を燃やす→うんうん。よく田んぼ道歩いていると稲を燃やしたにおいがすること、あります。

 ②落ち穂を流す→眺めている場所が水辺だからこそでた比喩かしら。

 ③遊ぶ幼子の目に問う→まさかすぎる…

 幼子の目にそんな…しかも遊んでるのに…この落ち穂燃やす?川に流す?って?しかもこれ、ただの落ち穂じゃなくて、ワケあり落ち穂(※慕情入り)やで!?

とか思ったりもしたんですけど、それを幼子の目に問うて返ってくる答えはおそらく、無意識下での自分の考えなのでしょう。あと、①、②または③幼子の目にこの落ち穂(※慕情)どーしよ〜!と問うかの3択という意味である場合も考えられますね。

  私はなんとなく①<②<③なのかなあ〜とか思ったりします。自分ならその気持ちを燃やしたり流したりしたくない、できないと思うからです。幼子の目はそのとき、どんな判断をするのでしょうか。

  ノーマル穂ではなくて、落ち穂(収穫したあとに落ちこぼれている稲、麦などの穂)であるところに、その慕情は叶わないものであったということを感じます。それでも拾い集めるという健気さが切ないです。

 

 そして最後は

「 鈴の音は抱いた体の

腫れた傷だけを癒そうぞ 」

という言葉で締めくくられます。

 え、この歌詞、思い浮かびます?(二度目) 

 この曲には主語がないため、鈴の音が抱いた傷のある体は、いったいだれのものなのかとか、なぜ傷がついたのかとか、わからないんです。 しょうみ、川を眺めたり、この落ち穂どうしよ~ってなってる人も、結局だれなのかわかんないんです。ヒントが少なすぎて、性別すら想像できません。

 あんなに感情移入させておきながら「で、この人だれやね~~~ん!」ってな感じです。でも、そこがいいのです。

 私はこの人 は、だれでもないから、だれでもいいと思っています。だれでもいいからこそ、拠り所のない寂しい思いを抱えたすべての人がこの人 になれて、この人 に寄り添う曲になるのではないかと思っています。宿はなしという曲を「仮の宿」的な使い方をしています。

 私にとっての鈴の音は、もしかしたらこの曲のことかもしれないと 寂しい夜によく思います。

 

幸せのピンクバス

一人で浮かれた男女のグループに囲まれながらユニバ行きのバスに乗り、約九時間を共に過ごす…ってなんか、文字にするとオエーって感じですよね。

しかしなぜか、人生が夜行バスに乗って目的地について遊んでまた夜行バス乗って帰って一日家で寝て休んでからまた夜行バス乗って目的地について遊んでまた・・・

っていう繰り返しだったらいいのに〜…

と、なぜか私は、新潟駅ジュンク堂の前にとまるWILLERのピンク色のバスを見る度に考えてしまうのです。

 


実家のある高槻に帰るとき、私はいつも祇園四条駅付近のバス停で降ります。そこはいつも一人か二人しか降りる人がいなくて、毎回

 

は?残ったこの人らみんなユニバ行くの…?雨降れ❗️

 

と心の中でこっそり雨乞いをしながら朝五時にキャリーとともに鴨川沿いを歩いとります。
夏はバスを降りた瞬間に蒸し暑い熱風を感じ、冬はここまだ新潟かな?というくらい寒いけれど、なんせ景色がきれいだから許せちゃいます。盆地万歳❗️

 

 

鴨川が〜〜大好き〜〜〜❗️

 

 

 

すっぴんで歩いていても早朝すぎて人全然いないから平気 くるりのリバーとか宿はなしとか、岡崎体育くんの鴨川等間隔とか、ついつい聴いてまうなあ〜。


祇園四条駅までちょっと歩いて、京都駅に行くためには東福寺駅で乗り換えが必要です。

東福寺駅のホームではイコ美ちゃんとイコ太の謎の音声案内がエンドレスで流れ続けてます。音質めちゃくちゃ悪くて呪いの音声みたくなっとります。おまけに絶え間なくながれていて、毎回笑いをこらえるのに必死です。

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それにしても


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なかなかに


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長旅やねえ…。


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でもきっといつかお金持ちになったとしても夜行バスは乗ると宣言します。

深夜のサービスエリアを1人で徘徊するあの感覚………悪いことしてる気分になれて好きです。周りは自分のことを知らない人たちばかりなので好き勝手できるぜ❗️てな感じの解放感も好きです。

駐車場は運送トラックや夜行バスまみれ。自分の知らないところでも、世界はまわっているんだということをあらためて実感したりします。不思議と心はフラカンの深夜高速な気分です。

 

休憩からバスに戻るときに、間違えて違うバス乗らないように気をつけよ〜❗️

みりんとの約束です。(経験者)

 

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ほ〜、京都はニノなんやねえ。